【コラム】経営哲学、何から学ぶ?
会社なり、個人事業なりを運営していますと、「何のためにこの仕事をしているんだろう?」と思うことがあります。
あるいは複数の関係者の利害が対立しているシーンに巻き込まれると、何をどう判断すればよいかを考えざるを得ず、行きつく先は「何のためにこの仕事をしているんだろう?」という疑問です。
身近な人でこの問いに答えてくれる人はいません。ヒントをくれることはあっても、最終的には自分の頭というか、心というか、腑に落ちるところまで自分自身で考え抜かなくてはならないものだからです。
概ね、下記のいずれかをヒントにしている人が多いようです。
- 歴史上の人物(世界編)…三国志の登場人物等
- 歴史上の人物(日本編)…戦国武将、幕末・明治維新で活躍した人物等
- メンター・経営学者…中村天風、安岡正篤、ドラッガーなど
- 名経営者:松下幸之助、本田宗一郎、稲森和夫など
- 宗教:キリスト教、仏教、儒教など
- その他:自分の身に起きる体験そのものから学ぶ、自然とのふれあいから学ぶ 等
経営哲学がない会社・個人事業はないと思います。「いやー、うちは家族みんなで飯が食えればそれでいいと思ってやってます。高尚な哲学なんて何もないですよ。」という方でしたら、「家族が経済的に恵まれた生活を送るために事業を営む」が、その人にとっての経営哲学になります。文章になってなくても、普段心の根っこで思っていることが経営哲学です。
ホントのホントのところでいうと、私は自分の身に起きる出来事に決まりきった意味はないと思っています。出来事そのものに何らかの意味がくっついているのではなく、私達がそれぞれ自由に意味を作りだしているのだと思っています。
別の言い方をすれば、出来事ひとつひとつに決まりきった色はなく、自分で好きな色を塗っているだけ。経営哲学にしろ、身に起きる出来事にしろ、「意味」を作り出しているのは「言葉」です。私たちは言葉を使って生きている関係上、一つ一つのことに言葉で意味を創り出しています。
本当は意味なんてない、真っ透明な世界。でも、そこに「言葉」というペンキを使って、意味を創り出す。どうせペンキで塗るのなら、自分好みに塗りたいな。…経営哲学もそんな感じで創り出すものだと思います。
私の場合は「かかわる人を元気にする」ことが自分自身の行動指針です。お客さまにもスタッフにも、家族・友人にも同じ姿勢で接するよう心がけています。でも、それは分かりやすく言えばそういうことというだけでして、本当はこの世界に「私」と「私以外」という区別はないと思っています。あまり細かく言い出すと抽象的になってしまいかねないので、ほどほどにしておきますが、目で見れば、別々のものに見えるものであっても、それは視覚上そう見えるだけです。スマホもさまざまな部品から構成されていますが、いちいち、部品名を列挙することはないですよね。まとめて「スマホ」と言っています。
AさんとBさんの関係も似たようなもので、言ってみればスマホの部品の名前のようなものです。マクロな観点に立つと、部品の組み合わせをまとめて「スマホ」と言っているように、AさんとBさんが相互作用をしながらつながっているモノの見方があると思うんです。
だから、「私」「お客様」「スタッフ」と分けて考えるのも「仮の見方」。これらすべてが広い意味で「私」です。狭い意味での「私」だけが幸せになっても意味がありません。スマホを構成している一つの部品だけが輝いていても意味がないのと一緒です。広い意味での「私」が幸せになることを目指しています。
0コメント