【コラム】幸せの畑作り
自分を囲む人たちや自分の身に起きる出来事は、自分の心の反映である気がしています。
ことわざにも「類は友を呼ぶ」という言葉があります。同じような考え方や趣味、性質を持った人同士は、自然と引き寄せ合って集まるという意味ですが、長い目で見れば見るほど、この傾向が強くなっていくように思います。
そして、引き寄せるのは「友」に代表される人間関係だけではなく、「出来事」もそうだと思います。出来事は決して偶然に起きるのではなく、その人にあった出来事が起きるようにできている気がします。だから、嫌な出来事が起きたときに、「なんで俺ばっかり・・・」と被害者モードで考えるのではなく、「この出来事から学べることは何だ?」「このピンチをチャンスに変えるためにはどうすればいい?」というように、出来事を前向きに、そして自分事として捉えていくことで、その出来事を味わうとよいように思います。
さて、自分を囲む人たちや自分の身に起きる出来事は、自分の心の反映だとすれば、自分を囲む人たちや自分の身に起きる出来事を直接変えようとしても、本質的にはムダであることが分かります。自分の心のありようをよりよくすることで、結果として自分を囲む人たちや自分の身に起きる出来事が変わっていくからです。
それでは、自分の心のありようをよくするために、どうすればいいのか?私は、自分がいかに多くの存在によって生かされているかを日々実感することにあると思います。
例えば、「道を歩く」とします。おそらくその道は舗装されていると思います。誰かがこの道路を舗装してくれました。舗装するためにはアスファルトが必要です。アスファルトを作る人がいるからこそ、舗装ができます。アスファルトは石油が原材料です。ということは石油を採掘してくれた人、石油をタンカーで運んでくれた人。そのタンカーを作ってくれた人。大勢の人が道の舗装に関わっています。その関わってくれた人も、家族の支えがなければ仕事ができません。その家族の生活も大勢の人の貢献によって支えられています。こんな感じで考えると、道路一つとっても、数え切れない大勢の人たちが関わっていることが想像できます。そして、道路の舗装技術、石油の掘削技術、タンカーの製造技術などは、一朝一夕にはできません。今は亡くなっている大勢の先人たちの知恵の積み重ねです。その先人たちにもまたその人を支えている家族がいたことでしょう。
こんな感じで考えると、過去を含めた大勢の人に支えられて、今の自分の生活が成り立っていることが想像できます。これをできるだけ細かく考えることを繰り返します。
そうしているうちに、「自分一人だけで生きているのではないんだな。」「大勢の人に支えられて、今の自分があるんだな。」ということが分かってきます。しみじみとありがたい気持ちになった時、「感謝の気持ち」という雨が、心という畑に降り始めます。
一回くらいの雨では、降らないよりはずっとマシですが、効果は薄いです。毎日「ありがたいな」と思う…というよりも感じることで、徐々に心の畑の土壌が豊かになってきます。
これを繰り返していると、「自分もこれだけ大勢の人から支えられているのだから、自分も微力ではあるけれど、社会に貢献しよう」という気持ちが湧いてくるようになります。おそらくその気持ちに呼応するように、社会に貢献できそうな出来事が自分の身に起きます。あとはその出来事をうまく活かしていけばよいのです。
ちなみに、「タネ」は既に畑に植わっているものと私は考えています。屋外にある土の表面部分を200g集めると、その土の中には103粒もの雑草の種が存在しているのだそうです。子どもであっても大人であっても、社会貢献できる切り口は(自分で気がついていないだけで)いくらでもあります。芽が出たら、他人や環境からのサポートと、自分自身の努力によって成長させていきます。こうしてより多くの人により深い社会貢献ができるようになっていくのだと思います。
社会に貢献している実感が湧いてくると、それもまた心という畑を豊かにしてくれます。まずは感謝。そして次に貢献。このモードに入ると、数ヶ月、1年、3年、5年、 10年と時間が経過するにつれ、「感謝と貢献」という心のありようを反映した人や出来事に囲まれます。
0コメント