【コラム】墓参りに思うこと

先日の週末、私の両親、私、長男の4人で両親の先祖の墓参りに行きました。

正直なところ、墓参りに興味・関心がない時期を過ごしておりましたが、40歳をちょい過ぎたあたりから、「墓参りに行きたい!」と思い始めました。

とは言いながら、父の出身は秋田県横手市、母の実家は新潟県上越市。東京からかなり遠く、仕事を休んでまで行く最後の踏ん切りがついておりませんでした。

そんな中、今年の夏に両親が「自分たちもだいぶ年を取って体力的に衰えてきたので、今年の墓参りを最後にしようかと思っている」と話し始めました。

どこに実家の墓があるかも知らない私は、今年ついていかなければ、墓の位置すら分からなくなるぞと決意を固め、2泊3日で新幹線を乗り継ぎながら、新潟と秋田のそれぞれの墓参りをしてきました。

なぜ、墓参りをしたくなかったかというと、自分一人の力だけで生きているわけではないことを痛感しているからです。

私の両親は父と母の2名。それぞれの親(私にとっての祖父母)は4名。先祖の数はこんな感じで倍々ゲームのように増えていきます。10代前で1,024名の先祖がおり、20代前で1,048,576名の先祖数になります。実際には近親婚などもあったので、倍々に増え続けるわけではありませんが、いずれにしても膨大な数の先祖がいることは間違いありません。

その膨大な数の先祖のうち、誰一人欠けていても、私は存在しませんでした。私の先祖は全員、子孫を残した後に死んでいるわけです。

膨大な数の先祖の中には、とんでもなく苦しい生活や恵まれない境遇の中で命のバトンをつないだ人もいると思います。ご先祖の多くは、自分の子どもやそこから先の子孫に対して、「幸せに生きてほしい」と願いながら命を閉じたのだと想像しています。

五感で感じ取ることはできませんが、もしかしたら、今でも子孫を応援する温かなエネルギーが、私の日々を支えているかもしれません。いや、そうであってほしい。それを前提とするならば、私はこの世に生を受けてからの55年間だけの人生ではなく、遥か昔からの積み重ねの中に生きていると考えることができます。

そして、ご先祖様から応援してもらっているのなら、せめて墓参りくらいは…と思い至ったわけです。

ご先祖様が応援してくれているのは24時間365日。一瞬も途切れることなく、どこにいても応援してくれていると仮定しています。「面」や「立体」のイメージです。それに比べたら、墓参りに行くなんて、「点」のようなものです。それでも、点でもいいから、感謝の気持ちを伝えたい。そう思って、墓参りに行ってきました。

ご先祖様の子孫に対する思いは「幸せに生きてくれ」ということだと思います。まずは笑顔で楽しい日々を過ごし続けていこうと思います。そして、微力ではありますが、かかわる人の役に立つ人生を送っていきたいです。私にとっての幸せは人の役に立つことを抜きにしては語れないからです。

PS:写真は父の実家。今は誰も継いでいませんが、「中野こうじ店」とあります。私の高祖父(ひいひいじいちゃん)は飴屋を営み、曾祖父(ひいじいちゃん)は染物屋を営んでいたそうです。祖父の代に麹屋に鞍替えし、祖父の長男(=父の兄)が麹屋を継ぎました。その後は後を継ぐ者がおらず、現在に至っています。

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