【コラム】登山、そして神社。
先日、お客様でもあり友人でもある人から誘われ、富山県にある一の宮、雄山(おやま)神社を参拝してまいりました。
富山県はその昔、越中国(えっちゅうのくに)と呼ばれていました。現在でいう都道府県に当たる「〇〇国」が68ヶ国あります。その国々に「一の宮」という、その国を代表する神社があります。今でいう県知事に当たる国司が地方に赴任すると、まずはその土地の神様にご挨拶に行く習わしとなっていました。その土地にも神社はたくさんあるわけですが、真っ先に参拝しに行くその地域の代表的な神社、それが「一の宮」です。
友人も私も一の宮専用の御朱印帳を持っており、一の宮に参拝する都度、御朱印をいただいています。
雄山神社は平地にある前立社壇(まえたてしゃだん)、立山連峰の入口にある祈願殿(きがんでん)、雄山(おやま)という山の頂上にある峰本社(みねほんしゃ)の3つの神社で構成されており、それぞれに御朱印をいただけます。
最難関のハードルが峰本社。雄山は標高3,003m。室堂(むろどう)という標高2,400m地点から数時間かけて登った頂上に行かないと、御朱印はもらえません。
しかも、気候の関係で7月〜9月の3ヶ月間しか御朱印を書いてもらえる社務所が開いていないのです。
友人はおそらくはこの日のためだけになるであろう登山靴、リュック、ストックなどの山グッズをバッチリ購入し、気合い入りまくり。
私も週末暮らしている山梨県甲府市の家から山グッズを東京に持ってきて、二人で富山へ。
それにしても、「前立社壇」(まえたてしゃだん)とか、「祈願殿」(きがんでん)とか。神社っぽくない言葉ですよね。
実は、この地域は「立山信仰」が盛んな土地なのです。立山信仰とは、富山県の立山を「神々の宿る山」と崇め、仏教(地獄・極楽)と融合した独自の山岳信仰です。岩峅寺(いわくらじ)や芦峅寺(あしくらじ)の御師(おんし・おし)が「立山曼荼羅」(たてやままんだら)を用いて全国に広め、江戸時代には多くの人が参詣に訪れたそうです。
明治になって、神仏分離令が明治政府から発せられ、仏教なのか神道なのかが曖昧な位置づけだったところは、ほぼ神社色を強めました。雄山神社もそういう神社です。
一応、イザナギノミコトとアメノタヂカラオノミコトの二柱(ふたはしら)が祀られていますが、イザナギノミコトの本来の姿(本地仏といいます)は阿弥陀如来、アメノタヂカラオノミコトの本来の姿は不動明王ということになっております。
登山口である室堂の近くからは噴煙が上がっています。有毒ガスが出ているそうで、近くには寄れませんが、噴煙の方から風が吹いてくると、硫黄の匂いがします。きれいな景色(極楽)と有毒ガスや殺風景な景色(地獄)が混在している、まさに立山信仰を支えた自然風景です。
登り始めたら息が切れ始めました。標高2,400mですから、空気が薄くなり始めているのです。私も頑張りましたが、友人はもっと頑張っていたように思います。人が頑張っている姿は尊いです。
もちろん、日頃友人はお仕事を頑張っているわけですが、お仕事で頑張っている姿よりも、息を切らしながら黙々と登り続けている姿を見る方が、頑張りが分かりやすく伝わってきます。
友人は、以前別の山を登った際に、膝を痛めてしまったそうです。そんな苦い経験があるのに、今回登山する決意をしたのですから、不屈の精神を感じます。
そんなに激しい動きをしているわけではないのに、空気が薄くて息が切れる。そんな状態で数時間登り続けて、ようやく頂上一歩手前にたどり着きました。ここに神社の社務所があり、御朱印をいただきます。700円払って頂上へ。頂上は入れ替え制になっており、約20人ほどで頂上に向かいます。頂上にはお社(やしろ)があり、神職の方が頂上までたどり着いた人たちが無事に下山できるよう、祝詞を挙げてくれました。そして、こちらの頂上では恒例とのことで、万歳三唱。登頂した達成感と高揚感で、向こうの山まで聞こえるのではないかと思えるくらいの大きな声で、万歳!を三唱しました。
山というのは、登る時は息が切れるのが大変です。一方下りは楽になるかというと、そうではありません。息は切れませんが、慎重に降りないと膝を痛めるのです。
慎重に、慎重に・・・。私は幸いにも膝を傷めずに下山できましたが、友人は最後の緩い坂になってから、どういうわけか膝が痛くなってしまいました。それでも弱音を吐かず、一歩一歩歩いていきます。一歩進めば、ゴールに一歩近づく。登山や下山は人生の教訓を教えてくれます。
友人と苦楽をともにすることができて、絆が深まったように思いますし、一生の思い出となりました。
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