【コラム】安心してもらう
自宅で義父が(老衰で)亡くなろうとしているまさにその日、看護師さんが義父の面倒を見に来てくれました。義父の様子を見て、看護師さんは「おそらくあと数時間の命だと思う。」と家族にコッソリ告げてくれました。
「数時間後に亡くなるかも」と言われても、意識はあって、話しかければ反応する義父を見ていると、本当にそうなのかどうか、素人の私には信じられませんでした。
とはいえ、1時間くらい経過すると、確かに義父の呼吸の様子が変わり、死が近いのかもと思えるようになりました。義父は1週間くらい前から声を出す元気はなくなっていますので、雰囲気や身振り手振りで義父の気持ちを察するほかありません。おそらく死期が迫っていることを本人も感じているかもしれません。
こんな時、義父に何か声をかけるとしたら、どんな言葉がよいのでしょうか?
そんな気持ちで義父を見つめていたら、看護師さんが義父に向かって、「大丈夫だよー、大丈夫だよー。」と声をかけました。
義父はその声を聞いて、ちょっと安心したような顔つきになりました。
私はそのやり取りを見て、仏教用語の「無畏施」(むいせ)を思い出しました。
仏像には、片方の手が上向き、もう片方の手が下向きになっているポーズをした仏像があります。
下向きの手は、「与願印」(よがんいん)といい、相手の願いを聞き届けようという姿勢を表しています。
上向きの手は、「施無畏印」(せむいいん)といい、恐怖や不安を取り除いて、安心させることを表しています。
「畏れのない気持ち」「安心の気持ち」を相手に提供すること、これが「無畏施」です。
私は知識としては「無畏施」を知っていました。でも、現実に直面すると何もできませんでした。一方、看護師さんは「無畏施」という言葉は知らないかもしれませんが、「無畏施」を実践していました。
「大丈夫だよー」って、子どもに話しかけるような言葉です。私は「『大丈夫』って、何が大丈夫なんだろう?」と、言葉の分析のようなことをしてしまいました。
でも、このシチュエーションでは、言葉の正確な意味なんてそれこそ意味がないし、その言葉を心を込めて言えば、これから亡くなろうとしている人にも、その心が届くんだろうな、と思いました。
目の前で「無畏施」の見本を見せてくれた看護師さんに、心から感謝しています。
PS:私は仏教や神道(神社)は大好きですが、特定の宗教の信者ではございません。
0コメント