【コラム】働く意味

「人生」に決まった意味や価値はありません。生きていれば悲喜こもごも、いろいろな出来事を経験しますが、これら一つ一つの出来事にも決まった意味や価値はありません。

「コップに半分水がある」状態を「半分しかない」と捉える人もいれば、「半分もある」と捉える人もいます。

こんな感じで私達は、自分に起きる出来事に自分なりに意味づけをしたり、価値をつけたりしているだけですから、自分にとって元気の出る意味付けをしたり、価値をつけることで、自分の人生をクリエイトしていくのだと思います。

働く意味は複数あっていいと思います。

「生活のため」という側面も当然あります。私にとっても「生活のため」という側面は外せません。ただ、それだけだと私としてはちょっと寂しい感じがします。


「成長のため」…20代の頃はこれも大きな位置を占めていました。人間には「よりよくなりたい」という本能のようなものがあるように思います。健全な思いではありますが、今振り返ると、「成長した自分になった後はどうしたいの?」という観点が抜けていたようにも思います。


「社会貢献のため」…30代以降はこの気持ちをメインにして働いてきたように思います。安心・安全な生活基盤を築くことは社会貢献の土台となります。成長をすればするほど、社会に対して広く深く貢献できる可能性が広がります。

なぜ、社会貢献をしたいのか。これまで数えきれない人たちに支えられて生きてきたし、これからも支えてもらいながら生きていくことが十分に予想することができます。支えてもらった分をすべて社会に還元することはできませんが、自分も微力ながら支える側にも回りたい。そう思っているからです。


最近、ある人が働く意味を「ご恩送り」と表現していました。

朝起きたらベッドから出ます。このベッド、誰かが作ってくれたものです。床に立つ。この床も誰かが作ってくれました。髪を濡らしてセットする。蛇口を作ってくれた人、水をきれいにしてくれた人、タオルを作ってくれた人…。こんな風に考えると、本当に大勢の人たちの仕事のおかげで、今日も暮らしているんだなぁ、と実感します。

日々支えてもらっている人に直接「ご恩返し」できる機会は滅多にありませんが、自分が受けたご恩を次の世代に送る「ご恩送り」の気持ちで働いていると、その人は言ってました。

「社会貢献」「ご恩送り」…まぁ、似たようなものではありますが、「社会貢献」よりも「ご恩送り」の方が、謙虚な感じがするし、自然な流れを感じます。

私は社会貢献改め、ご恩送りの気持ちで働こうと気持ちを新たにしました。


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